弱小のマーケティングオートメーションベンダーに勤務している自分は、むかしマーケティングオートメーションというキーワードが流行るように祈っていました。
しかし、いざマーケティングオートメーションという単語が流行ってみると、過去の自分が思い描いていた世界とは違ったわけです。顧客の課題解決なんかそっちのけで、「マーケティングオートメーションは俺が育てた」みたいな残念な人たちがあふれている世界になってしまったわけです。
流行ってみたら…… 何だコレ
マーケティングオートメーションがバズワードになって何が起きたか。
聞いたことのない失敗事例を勝手にでっち上げられるし、お手軽にマーケティングオートメーションを導入する◯個の法則みたいにまとめられるし、一斉メール配信の機能で自動化っていわれるし、あなた誰ですか?っておじさんがマーケティングオートメーション導入の極意とかドヤがで語りだしたりする。
より顧客の立場にたったマーケティングをしたい人をサポートしたいだけのツールなのに、何だコレって状態です。
バズワードは汚される
バズワードが何だコレ状態になるは、別にマーケティングオートメーションに限ったことではないんですよね。
ネイティブアドとかも同様。
本来のネイティブアドって、キチンとPR表記しながら、メディアの中で読まれても違和感がないコンテンツで広告することだったはず。でも今は、ネイティブアド=インフィード広告みたいになっていて、読者のクリックを欺くためにメディアの擬態する事がネイティブアドっぽいことになっている。それかステマ。
ネイティブアドって、下落する一方のネット広告の単価是正ができそうだったのにね。はじめは。それがいつの間にか、ネット広告でお馴染みの「ネットワーク化して値下げ競争」が始まりだしている。それかステマ。
本当は、ネット広告でありながらブランド広告を受け入れる器だったのにね。
機械学習とか人工知能とかもそうでしょうね。
バズワードになると、いろいろと初めの目的を無視した有象無象が湧いてきて、思ってたんと違うとなるのは仕方がないのかもしれません。
それでもその言葉を使い続ける理由
そんな汚れちまった言葉を捨てて新しい海に漕ぎ出せばいいじゃないか、って言うのは簡単ですが、実際には難しいんですよね。
海外生まれのゴリアテみたいな巨人たちは、豊富にある認知度と資金をつかって、マーケティングオートメーションから足を洗うことができますよ。カスタージャーニーとかエンゲージメントとか言っても問題がない。
でも、ダビデみたいな小人は、そんなマネできないんです。小人が流行りのキーワードから足を洗ってしまうと、届けたい人に情報が届かなくなってしまう。
考えても見てください。ずっとメールマーケティングをやっていたけれど限界を感じている。そろそろ、もう一歩踏み込んで顧客のタイミングを起点としたマーケティングを実施したいという人がいたとします。その人は「メールマーケティング 顧客起点 適切なコンテンツ」なんて情報の探し方をしないんです。とりあえず「マーケティングオートメーション」って検索してしまうんです。
だから情報を届けるためには、CPCが上がろうともリスティング広告ださないといけないし、本質じゃないとか言われてもSEOに時間をかける必要がある。
環境は受け入れるしかないのかな
結局は、環境の変化なので受け入れるしか無いんですよね。釈然としなくても、納得出来ない事が溢れていても。あと、環境が変化することを前提に「自分でコントロールできる製品側できちんとブランディングする」という当たり前のことを当たり前に取り組むべきなんですよね。
ただの愚痴なんですが :(