データを能動的に取るときに発生する心理的ボトルネックを裏付けデータなく妄想する

 先日参加させて頂いた第98回 行動計量シンポジウムで、「受動的なビッグデータ」と「能動的なビッグデータ」というキーワードが出ていました。分類をきちんとする事の大事さと両者共に分析は能動的に行うべきというような文脈で紹介されていた。。。かと思います。

 WebやPOSなどの勝手に貯まるデータ(=ログ)が受動的なビッグデータで、A/Bテストのような目的をもって取りに行くデータが能動的なビッグデータという分類でした。能動的なデータがビックかどうかはさておき、データを扱う上で能動的にデータを取りに行くというのは必ず発生する事案です。

 この能動的なデータってどこまで能動的に取得することが許されるのでしょうか?

 データを分析する側が能動的に行うという事は、対象となる人たちは受動的になるという事です。選択する権利はありません。

 A/Bテストなどであれば「提供者が能動的」にデータを取得して分析する事も許されるでしょう。「俺も緑色のボタンで画面を表示して欲しかった!それであればフォームを登録したのに!!」なんて怒る人はいないかいても例外です。

 ではこれが教育だったら?

 ゆとり的な教育と詰め込み的な教育のいずれがいいのか? A/Bテストの手法を使って能動的に状況を作り出していずれが良いのかを検証・分析を行う。これは許されるでしょうか? 社会はきっと許容せずに拒絶するでしょう。

 教育というのは極端な例かもしれませんが、「より明るい未来のために現在の人たちに対してテスト・検証をする」という行為は一定の犠牲の上に成り立っています。成果があがったモノが分かるという事は成果があがらなかったモノしか与えられなかった人もいるという事です。

 データドリブンなマーケティングが浸透していくとすると、その過程で多くのマーケターがデータと向きあう事になります。どのようなデータを取得していくのか? という選択・意思決定を行う機会も増えていくでしょう。これは、より多くのマーケターにどこまで能動的にデータを取得する事が許されるのか?という心理的課題を突きつける事になると言い換える事ができるのではないでしょうか。

 データドリブン・テストファーストなんてモノがひろく受け入れられるかは、いかに簡単にテスト・検証を実施できるのかというよりも、このような心理的な障壁がボトルネックになってくるのではないですかね。いや、なんのデータや事実にも基づいていない妄想なんですが。