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語尾を「思う」でとじることはやめよう

無意識に「思う」という言葉で語尾をとじます。

なぜ?

自信がないから?角がたつから?それ誰に対して?意識的?無意識? ...... 疑問は尽きません。

「思う」で語尾をとじようとするのは断定を避けるためだ。このような言及はよく見ます。本当にそうなのでしょうか?私の場合は、そこまで考えずに無意識に「思う」を使います。これは、断定を避けていないのか、それとも無意識レベルで避けているのか?はい。後者です。やはり避けていますね。強がってスイマセン。

では、なぜ無意識だろうが意識的だろうが断定を避けるのでしょうか?私のは場合は言及する事にたいする自信がない時にこの傾向が現れます。自信が無いのに断定的に言及する事に対する不安が、「思う」という語尾を誘発するのです。

ただ、コレって効果的なのでしょうか?そもそも思うという言葉には「判断する」「決心する」という意味が含まれています。

思う goo辞書より

1 ある物事について考えをもつ。考える。
㋐判断する。信じる。「これでよいと―・う」「そうは―・わない」「自分の―・ったとおりに行動しなさい」
㋑決心する。決意する。「新しく事業を始めようと―・う」「―・うところがあって酒を断つ」
㋒あやしむ。疑う。「変だと―・った」「そんなことがあるはずはないと―・っていた」

こう考えると、そもそも思うという言葉は断定表現を避けるために適切な言葉ではないという理解ができます。思う自体も断定の意味を多分に含んでいます。

 _人人人人人人人人人人人_
 >  逃げた先は袋小路!! <
  ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

断定を避ける時は、妄想上の軍団から飛んでくるまさかりに恐怖を感じています。でもその文章はまさかり飛ばしてくる軍団に向けて書いているのですか?自分が信じたこと、決意したことに対して理不尽にまさかりが飛んできてもそんなのは無視すればいいのですよね。読んでほしくない人達のまさかり恐れて萎縮するのは悲しいです。あと、断定避けてもまさかりは飛んでくる。

一人の人に語りかけると思って書きなさい。この定番のアドバイスにしたがって書こうとした時、その人は自分が信じている事を断定したら不快になるのですか?大丈夫ですよね。きっと。だからこのアドバイスはやはり金言だし、素直に従った方がいいですよね。

こう考えていくと、なるべく思うという語尾は使わない方がいいと思う。