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iOS7の戻るジェスチャーからみるユーザー体験の強制上書きと老害

Digging that I can sketch interactions (swipes) #sketchcamp

 

iOS7にしてBywordで戸惑った操作の事を少し前に書きました。 iPhoneのBywordがアップデートされてファイル一覧に戻れなくて右往左往した | niwaringo() {blog}

今思えばBywordで感じた戸惑いはカワイイものでした。そう感じるほどiOS7では様々な変更が施されています。その中でも特に「戻る」「進む」に実施された大胆な変更はPC世代の自分にとってはかなりの衝撃でした。デザインセンスも無ければ、UX・UIをキチンと学んだことが無い自分でもコレを契機に「ユーザー体験」について色々と考えさせられました。

戻る・進むはどのような変更を施されたのか

今までWebブラウジングをしている時に、ページを戻りたくなったらどうしていたでしょうか?戻るボタンをクリックです。PCのExplorerでExcelファイルを探してさまよっている時に進みたくなったら?進むボタンをクリックです。

iOS7以前の自分は、戻りたい時・進みたい時に取るアクションは、該当するボタンをクリック(タップ)するという選択肢一択でした。コレはもうインプリンティングというか、三つ子の魂百までというか、とにかくPCで育てられた自分に染み付いている所作です。(キーボードショートカットはボタンクリックのショートカットなので「ボタンクリック」に含みます。)

この疑いもしなかったボタンクリックと言うものをiOS7で変えられました。どう変えられたのか?

「スワイプジェスチャーで戻る事ができるのです。そう、iPhoneならね。」

ボタンが主か? ジェスチャーが主か?

スワイプジェスチャーへの変更に衝撃を受けたなどと言うと、「いやいや、Macでもトラックパットでスワイプして戻るとかあっただろ!?」というまさかりが飛んできそうです。しかし、私はMacでのトラックパットでのスワイプと、iPhoneのスワイプは全く別物と捉えています。

Macはあくまでも「主がボタン」で「ジェスチャーは補助」です。
「はいはい。どうせボタン押すんでしょ?ただね、ジェスチャーという方法あるんだよ。本当はこっちの方がいいんだけどね〜。」
というようなオプション提案です。

対するiOS7は、 「主がジェスチャー」で「ボタンが補助」です。 「戻るボタンとかもういいから。ジェスチャで移動しなさい!!」 もう通達ですね。

後方互換をすてる勇気そしてキャラクター

スワイプでの移動に慣れてくるともうボタンクリックには戻りたくないです。ジェスチャーで移動するという事を強制通達してくれた事に感謝し、戻るボタンを隅に追いやるという大きな変更を下した勇気に敬意を表します。

新しいユーザー体験を浸透させようとすると、後方互換はバッサリと切ったほうがいいでしょうが、そこには当然、失敗してユーザーの離反を招くというリスクがあります。

アップルは今回だけに限らず後方互換をバッサリと切り捨てるイメージがあります。このイメージというかキャラクターと言うのも新しいユーザー体験にが受け入れられるかどうかの要因の一つでは無いでしょうか。同じような変更をしてもAppleのそれは「革新的」と褒めそやされ、Microsoftは「改悪」と言われてしまうというジョークもあったりしますよね。

ジョークの対比として使われているMicrosoftもWindows7までは後方互換を優先させていましたが、8ではかなり大胆に変更してきましたね。スタートボタンで色々あったにせよ。。。

後方互換をバッサリ切り捨てながら進んでいく潮流は、デバイスの主役がPCからモバイル・タブレットに移行している今だから起きると考えると、色々あるゴタゴタも楽しいですね。

強制アップデートの力を持ったシェアを持った企業

主役デバイス交代すると自然とユーザー体験も変わらざるえなくなると思います。では、ユーザー体験を新しく創りだして広げたい企業があったとして、そのために必要なものは何でしょうか?創りだすユーザー体験自体が優れているという自明の理由以外に2つの要因があるのではないかと個人的には思っています。

Dvorak配列や親指シフトのように現行のユーザー体験より優れていると言われているものでも、リーチした人数が少ないと「知る人ぞ知る存在」になって埋もれてしまうという事は珍しくありません。こう考えると、スピードは早い現代において新しいユーザー体験を広めるためには、既に一定数リーチできる環境がないといけないという残酷な現実があるのではないでしょうか。もうこの時点でコレをできる企業は限られますね。

もう一つの要因は一人あたりの接触時間と考えます。どんなに使いやすいものであっても、それが月に1度しか使わないようなものであれば、ユーザーとしては積極的に再学習するメリットがないです。慣れると使いやすいという物があったとしても、なれる必要がなければ使いにくい旧来の物で十分です。

このように考えると、モバイル・タブレットの時代に、PC時代のユーザー体験を上書きできる企業はAppleとGoogleしか無いですね。逆にAppleとGoogleの二社がその気になれば、かなりの多くのユーザー体験を変更していけるという事に一種の怖さも感じます。

あらゆる物が侵食されて後の残るは老害の愚痴のみ

新しいユーザー体験が発生すると次の3つのパターンのユーザー群が発生します。 1. 初めてなので新規に受け入れる 2. 既存の物を捨てて新しい物を受け入れる 3. 既存のものを選択して新しい物を拒否する

気をつけたいのは3の選択肢を選んだ場合です。1と2のユーザーが増えてくると特定のデバイスだけでなく世の中のあらゆるものにそれが浸透して、気がつけば周りには使いにくいものが溢れてしまうという状況に陥ってしまいます。

例えば、モバイル・タブレットデバイスで浸透したものがテレビなどのリモコンにも影響を与えるというようなものです。既にテレビのリモンコンではボタンに付け加えてタッチバッドがついてくる物が出てきているみたいですが、流れ的にはタッチパッドが主になってボタンひ本当に必要最小限になっていくのでは無いでしょうか?これでもか!という形でボタンを集めていたリモコンなんぞはボタン世代の遺物ですね。

3を選んだ人達には、タッチよりボタンの方が人間には適していると何故か無駄に大きい話にしたり、昔は良かったとくだを巻いたり、、、人が老害と呼ぶ行動を取るしかなくなります。

なので、PC世代のおっさんであったとしても慣れ親しんだボタンという物をもう一度考えた方が良いかもしれません。というかいつからそんなにボタンが好きになった?はじめからそんなにいいと思っていた?新しい者に対する抵抗が本質じゃないの?などと自問自答しながら、自分以上に自分の行動を考えて設計されているであろう体験に身を委ねて見るのも一興なのかもしれませんね。