とりあえずいいねに踊ってみた?

この間の参議院選挙をうけて、とある政党の偉い人が、「街では反応があったのに議席が伸びなかったのは残念だ。」と申されたみたいです。これを見た時に、「あ、このような光景みたことあるな」という感想を持ちました。既視感ですね。あ、ちなみに、デジャヴーみたいに「う」に濁点が付いている単語って書いたり、いったりするの何となく気恥ずかしいです。どうでもいいですね。本題に入ります。

いいね反応

「その機能いいですね!」、「こんなサービスがあったらいいですね。是非、使いたいです。」会話をしていて、このような言葉を顧客から貰うことは、営業やマーケに関わっていると人なら一度ならずあるはずです。ここでは、このような反応をいいね反応と呼ぶことにします。言わずもがなですが、Facebookのいいねを押すような感覚で、反応しているという事をイメージしています。

このいいね反応ですが、結果に結びつかない経験を数多くつんで、お互い社交辞令で終わってしまっているという事になっていませんか。「いいねって言っていたのに、売れない、使われない」という経験を積み重ねていくうちに、スルー力だけが増強されてるという人は多いでしょう。

では、なぜ「いいね反応」は目的とする行為(仕事では購入。選挙では投票)にむすびにくいのでしょうか。

動機なしの行動がいいね

この政治家の方は、市井で「雇用をしっかり守ってください」などの反応を得ていたそうです。しかしですね、想像してください。その人は現在失業中で雇用に困っていたのでしょうか。自分でなくても、近親者にそのような人がいて、いてもたってもいられなくて、そのような反応をしたのでしょうか。もちろん、実際に現場を目撃したわけではありませんが、選挙の結果を見ると大多数はそうではなかったのでしょう。

では、なぜその政治家の人に「いいね反応」をしめす人が多かったのでしょうか。(多かったかは疑問ですが、、、)

雇用を守る。たしかに大事です。公言してもおかしなことではありません。しかも、目の前にはそれを訴えている人がいます。このような状態では、いいねボタンがあればとりあえず押してしまうのではないでしょうか。実際のFacebookのいいねボタンであれば、押したことがグラフに流れるので躊躇する事はあっても、まちなかで政治家に声をかける「いいね反応」であれば、とりあえず目の前の人も喜んでくれるし、黒歴史になることもないしで、イベント的に捉えて声をかける人もいるのではないでしょうか。

いや、あたりまえのことなんですが、、、

こう考えると当たり前のことなんですよね。「深く考えない発言には、行動は伴わないよね。」という発言は、おかしなことではないはずです。それこそ、「雇用を守るべき」という発言と同じくらいおかしなことではない。もっと言えば、お気軽な「いいね反応」に行動を求めるという事自体に無理があります。

では、これどのようにすれば避ける事ができるのでしょうか。ビジネスの場であれば、金額が発生しても欲しいのかと聞くのが一番的確でしょう。「いくらなら欲しいですか?」といいね反応をした人に聞くと、どうなるでしょうか。もし、アメリカの大統領選挙の「コミットメントカード」のようなものを導入したとしたら、その人は記載してくれたでしょうか?

行動には動機が必要です。そして、その動機は自分が見たいものに見えるようになりがちですし、相手もあわせようとしてくれることが多いです。こんなことを文章にしている事が恥ずかしくなるくらいあたり前のことです。もちろん、この政治家の人もこんなことは百も承知で、本心から「街では反応が良かったのに。。。」と思っている訳ではないでしょう。でしょう。きっと。